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コンスタンチン (ウラジーミル大公) : ミニ英和和英辞書
コンスタンチン (ウラジーミル大公)[こう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
大公 : [たいこう]
 (n) archduke
: [こう]
  1. (n,suf) prince 2. lord 3. duke 4. public 5. daimyo 6. companion 7. subordinate

コンスタンチン (ウラジーミル大公) : ウィキペディア日本語版
コンスタンチン (ウラジーミル大公)[こう]
コンスタンチン・フセヴォロドヴィチКонстантин Все́володович, 1186年5月18日 - 1218年2月2日)は、ウラジーミル大公(在位1216年-1218年)。フセヴォロド3世の長男。母はボヘミア王女マリヤオセット人とも〔Jiří Louda, Michael Maclagan, ''Lines of Succession'', Little, Brown & Company, 1981. p.273〕)。祖父はユーリー・ドルゴルーキーロストフ公家の祖。
1196年に10歳にして、スモレンスク公ムスチスラフ老公の娘アガフィヤと結婚。
1190年代後半をペレヤスラヴリ・ルースキーで過ごす。
その後、父フセヴォロドは、コンスタンチンをノヴゴロド公に据える。1205-1208年まで。
その後、父はかれにロストフ、ヤロスラヴリウグリチを与える。
1211年に父と領土を巡って争う。
1216年には弟のユーリー2世とヤロスラフ(後のヤロスラフ2世)の軍を破り、ウラジーミルに入り、大公になる。
1218年に死去。三人の息子に世襲分の領土を分割。ロストフをヴァシリコに、ウグリチをウラジーミルに、ヤロスラヴリをフセヴォロドに遺贈。
大公位は弟のユーリーに。
== 脚注 ==





抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「コンスタンチン (ウラジーミル大公)」の詳細全文を読む




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